2014年12月15日月曜日

癒しの島の自殺者

沖縄は文化人類学的にはポリネシア文化圏に属すと言われるが、ポリネシア文化圏には母系社会が多い。たとえば、沖縄の原型をとどめていると言われる久高島では、家の祖先の神霊を継承するのは女性であり、神の霊を受け継ぐ神女(ノロ)と呼ばれる女性たちが島の祭祀一切を取り仕切ってきた。これは現在も続いている。久高島には一二年ごとに行われてきたイザイホー(一九七八年を最後に行われていない)という儀式(一九七八年を最後に途絶えている)がある。島では三〇歳から四一歳の女性は神女(タマガエ)になることになるが、イザイホーはいわばその就任式である。

人は死ぬと、霊魂が太陽の昇る東のニライカナイへ行き、再び島に戻ってくると考えられているが、イザイホーで孫娘が祖母の霊威を継承して一人前の女性になるように、この霊魂は父親ではなく、母親か祖母の霊と言われていることから、沖縄は母系社会であったことをうかがわせる。久高島だけでなく、沖縄のいたるとこゐで原始母系社会をうかがわせる痕跡があるのだ。それでいながら男系優位の社会なのである。沖縄に男系優位が入ってきたのは、琉球が統一されて貨幣社会が広がったことや、中国との交易などによる中国文化に影響を受けたからだろう。しかし沖縄では、財産の継承や門中制度など男系優位が支配するなか、で、祭祀を含めた実生活の場では女性優位であったことは、比嘉政夫氏が『女性優位と男系原理 沖縄の民俗社会構造』(凱風社)で記している。(もっとも比嘉氏はこの本で、門中が制度的に整っているのは、旧士族層や首里、那覇の都市や沖縄中南部と指摘している)糸満はまさしくそうした町のように思う。

糸満は漁業の町でありながら商人の町でもあった。かつては漁師である夫が採った魚を、妻がお金を払って買ったという。魚を売った時点で夫の役割は終わる。後は妻が那覇や首里で売り歩き、その利益はすべて妻の収入になった。妻と夫の財布は別なのだ。これを「ワタクサー」というが、たとえ船が沈没して夫が死んでも、家族が生きていけるようにとの、生活の知恵から生まれたのだろう。商業活動だけではない。夫が海人であり、生死が常に身近にあるせいか、祭祀もさかんで、もっぱらそれを担っているのが女性たちであった。

かなり大雑把な言い方だが、日本は古代の母系制から男性優位の父系社会になり、女性があらゆる分野から排除されていったが、沖縄では祭祀の場で女性が欠かせない存在であったことや、日常の商業活動でも女性が積極的に進出したせいで、父系社会の中に女性優位と男性優位が混在する社会になったのだろう。沖縄の女性はよく働く。ほんとうに感心なくらい汗水を流してよく働く。その一方で、沖縄男性はなんと影の薄い存在であることか。どうひいき目に見ても勤労意欲が高いと思えないのは、女性が働き者だからだろう。

ビジネスの世界は男系優位が当たり前である。沖縄にかぎらず、世界中でも多くがそうだ。ところが、沖縄の女性は、本土の女性のように家に閉じこもってじっとしていない。夫を社長として立てながら、実際は妻が切り盛りしている会社もあるほどだ。人が集まるところに出かけては「ゆんたく」を楽しむのも女性に多い。これは京都の女性たちにも通じるように思う。どちらも「遊び」をよく知っているという意味では、ヨハンーホイジンガのいう「ホモールーデンス」(遊ぶ人)に通じるかもしれない。一方の男性は、昔からそうだったのかどうか、「沖縄の男は独立心が旺盛」と言われ、ちょっと仕事を覚えるとすぐに独立して開業する。この小さな島に万という数の建設業者がひしめいているのもそのためだ。

2014年11月14日金曜日

法整備に関する政治家の愚策

裁判制度を動かしているのは、政治家ではなくて、法律家であるのは確かです。しかし、法律をどういう内容にするかは民主的に決められるわけで、それは基本的に政治家の仕事です。私のような弁護士がとやかくこんな主張をしていること自体が、ちょっとズレているかもしれないわけで、日本の政治の貧困の象徴のような感じさえします。

政治家には、しっかりとした法律を作ってもらう必要があります。単に「権利」を作ってもらうだけでは不十分で、その手続や実効性をしっかりと確保する方法まで含めて、がっちりとしたものを作ってもらわなくては無意味です。

お金を貸すとき、しっかりとした金融機関は担保を取ります。それと同じように国民も、ちゃんと法律が守られるような担保を取らないといけないのです。国民の立場からしっかり担保を取っておかないと、結局「不良債権」と同じような、あまり機能しない「不良な法律」がはびこることになってしまいます。

その担保にあたるのが「効果的な手続」というものであって、もう少し具体的にいえば、使いやすい窓口、権利を実行するための人や組織、あるいはそれらを裏付ける予算措置が備わっているということなのです。

単なるアドバルーン的な、「絵に描いた餅」のような法律はもうお断りだ、というつもりで、国民も厳しくチェックしていく必要があると思います。制度に問題かおるなら、国民が声をあげて法律を変えさせるところまでやらないとダメなのです。

これからの日本の政治家には、是非その上うな点に配慮した改革をやっていただきたいものです。口先だけで「絵に描いた餅」をいくら作っても、あるいは一時的にお金をばらまくような人気取りをいくらやっても、盲六の構造改革は進みません。

2014年10月14日火曜日

華人経済はアジアに根づくか

『華人資本の政治経済学土着化とボーダレスの間で』岩崎育夫、大陸中国の南に広がる海域アジアには数千万に及ぶ在外華人が居住している。共産革命の上海から逃避してきた企業家や広東省からの越境者の住まう香港。清末期に広東省や福建省などの華南から列強の植民地支配下にあった東南アジアに移り住んだ南洋華僑。十七世紀後半期から十八世紀にかけて同じく華南から海峡を越えて移住し、その刻苦精励によりアジア有数の発展地域をつくり上げた台湾住民。

中華世界における「資本主義の精神」は、大陸中国にではなくこれら在外華人の中に横溢している。東南アジア経済発展の主役となり、改革・開放期中国の成長牽引車となったのは、まぎれもなく在外華大である。「華大資本の政治経済学」は、今日のアジアの発展を論じる場合のおそらくは最重要のテーマの一つにちがいない。長らく待ち望んでいたこの分野の秀作が上梓されたことは画期的である。

著者は「華人資本特殊論」、つまり「華人資本が中国人の民族性と結びつけられて、日本資本やアメリカ資本とは違った、何か特別のものであるかのように語る」俗説を排して等身大の姿を描きだそうと努めている。華人資本は東南アジアでの長い事業展開の過程で立地国の地場資本としての性格を強め、それぞれの国の発展の不可欠の構成要因となった。

華大資本の対中投資が近年めざましいが、それも中国の成長が豊かなビジネスチャンスを彼らに提供しているからであって、逆に中国のマクロ経済が不安定化して投資リスクが大きいものとなれば、華大資本はおのずと他の代替地へと転じていくはずだと著者はみなしている。「血は水より濃い」という華大資本にまつわる通念を確かな実証によって退け、中華経済脅威論が幻想であることをわれわれに諭している。

2014年9月13日土曜日

包括貿易・競争力強化法

八七年三月には、半導体等二五品目にたいする一〇〇%報復関税が発表され、さらに上、下院で、日本の恐れていた包括貿易法案が通過して、八八年八月「包括貿易・競争力強化法」が成立した。包括貿易法によれば、「不公正な貿易慣行」の存在が認定された場合に行政府は、相手国の貿易障壁撤廃、市場開放のために年限を決めて交渉しなければならない。合意不成立の場合には、相手国にたいする優遇措置の撤回、報復関税、輸入制限など制裁措置をとらなければならない。この法律は日本、NIESを対象としているが、とりわけ従来の対日分野別協議(MOSS)、農畜産物自由化、知的所有権の保護、関西新空港など土木建設分野への米企業参入、それにココム違反を犯した東芝グループからの輸入や政府調達の三年間禁止、外国企業によるアメリカ企業の買収や合併の監視など、従来の日米経済摩擦で浮び上がってきた保護主義的条項が包括的に盛り込まれている。

しかも、通商法三〇一条を改正して、不公正貿易の認定・交渉権を大統領から通商代表部(USTR)に移管して。「相互主義」発動の機動性をましている。これが「スーパ三〇一条」とよばれるもので、八九年五月、アメリカはスーパーコンピュータ、人工衛星、木材の三品目についてこの項目の対日適用を決定した。こうした貿易摩擦はたんに日本とアメリカ、ECとのあいだにとどまらず、近年では、鉄鋼、農産物をめぐりECとアメリカとのあいだに、またアメリカ、ECと台湾、韓国などNIESとのあいだにも起こっている。輸出による摩擦とともに、アメリカ、ECから、日本の農産物自由化、金融・資本市場の自由化、非関税障壁の撤廃など、よりいっそうの市場開放の要求が高まり、九〇年には日米間に経済構造協議が行なわれ、両国とも国内経済構造を改善して市場拡大、モノーサービス貿易の自由化をすすめることで合意が成立した。

八九年九月から九〇年六月にかけて、日米両国は対外不均衡是正のために貿易と国際収支調整の障害となると考えられる構造問題の協議に入り、九〇年六月最終報告を発表して、この報告で識別された諸問題の進捗状況を定期的に評価することをとり決めた。日本側の問題点としては①貯蓄・投資パターンについては公共投資の大幅拡充、②土地の有効利用促進や建築規制緩和、③流通関係では大店法や景品付き販売などの規制緩和と公正取引委員会活動の重視等、④排他的取引慣行については独禁法の強化、談合の禁止や行政指導の公表等、⑤系列については競争阻害行為の監視や対日投資促進、⑥価格メカニズムについては共同調査、などが挙げられた。

また、アメリカ側の改善方策としては、①貯蓄・投資パターンについては赤字財政の均衡化、②競争力強化、③政府規制の改善、④研究開発の促進やメートル法採用、⑤輸出振興、⑥労働力の教育・訓練等が挙げられた。構造協議はお互いに、市場経済のタテマエからみて不可解な問題をつき合わせたという性格をもち、貿易改善との関係は未知数であるものの、「異質文明」同士の相互理解にとっては積極的な意味をもつだろう。先進国の経済構造がサービス化をすすめるとともに、また、多国籍企業の相互乗入れ投資がふえるにつれて、世界貿易に占めるサービス貿易が増大し、その比重も近年著しく高まってきた。サービス貿易とは、船舶・運輸、旅行、労働・経営・専門技術、通信、銀行保険など民間サービスを意味し、これに軍や外交公館など政府サービス、海外投資収益をふくめる場合もある。

現在(九〇年)の世界商品貿易(往復)約六兆ドルにたいし、サービス貿易は一二兆ドルと五分の一程度である。世界の工業製品生産額の四五%程度が輸出されているのにたいし、サービス輸出はまだ一割程度にとどまっている。しかし、とりわけ一九八〇年代中葉から先進国間の取引を中心に、サービス貿易の伸びがめざましく、商品取引の伸びを上回っている。そのため、サービス貿易について国際的な枠組みをつくる必要が痛感され、ガットのウルグアイラウンドでの主要な交渉項目となっている。

2014年8月19日火曜日

交通犯罪はどのように処理されるのか

私たちはこのような事態に。いわば不感症になってしまっているのではないでしょうか。一人の人が生命を失うという交通事故は、新聞にも載りません。何台もの車が巻き込まれ、何人もの人が命を失うような事故でないと新聞の記事にはなりません。私たちは自動車事故に慣れきってしまっているのです。年間一万人を超える死者を失われた人間の命の重さとして受け止めるのではなく。単なる統計上の数字としてしか捉えていないのです。事故に慣れてしまっているのです。人の死に慣れきってしまっているのです。このような状態は、事故の多発よりも、もっと異常な事態ではないのでしょうか。

いま車を運転していたある人が、スピードを出しすぎてハンドルを取られ、歩道を歩いていた他人を撥ねとばし、自分自身も電柱に激突し、ともに命を失ったとします。通常、これらの人はどちらも「交通事故で亡くなった」と言われますし、統計の上では「死者二」として同列に記録されます。両者の間には何の違いもありません。しかし、この事故による二人の死は全く異なったものなのです。一方の死はいわば自業自得かもしれません。しかし、もう一方の死は他殺であり殺人なのです。一人は加害者であり。一人は被害者なのです。これは交通事故ではなく交通犯罪なのです。私が、戦死という言葉になぞらえて「交通死」と呼ぶのは、この被害者の死なのです。

交通事故をこのように分けて考えることが、絶対に必要だと私は思います。区別をあいまいにしておくと、一方では事故の持つ犯罪性が隠蔽され、被害者は運が悪かったにすぎないということになり、他方では加害者の責任があいまいになり、交通事故があたかも不可抗力な自然現象であるかのように受け取られかねないからです。交通犯罪が許容されかねないからです。「交通犯罪」というのは『犯罪白書』で用いられている言葉なのですが、この『白書』によれば交通関係の業務上過失致死(重過失致死を含む)の疑いで検挙された人は一九九五年では八六九七人です。

またこの年に交通関係の業務上過失致死傷の疑いで検挙された人は六七万七〇〇〇人にものぼり、刑法犯全体の六九・八%を占めています(ちなみに第二位は窃盗犯で一五万九〇〇〇人、全体のでハ・四%)。すなわち、交通事故による死者の大部分は、その生命を失ったのではなく奪われたのです。また刑法犯の一〇人に七人は交通事故を起こした人なのです。この数字は私たちの住んでいる社会がたんに「くるま社会」であり。私たちが「交通戦争」の真っ只中にいるというだけではなく、私たちが「交通犯罪の社会」に住んでいることを示しています。

ところで、私たちの社会で交通犯罪がどのように処理されているのかを、あなたはご存じですか。交通法規を無視することで他人をあやめた人がどのように裁かれ、命を奪われた人がどのように扱われているかをご存じですか。新聞には事故の起こったことさえほとんど書かれていないのですから、それがどのように処理され。どのように決着づけられたかが記事になることはまずありません。しかし、私たちの住んでいる社会が交通犯罪に溢れた社会である以上、私たちはそれがどのように処理されているのかを知らなければなりません。そのことがとりもなおさず、私たちが住んでいる社会の一面を知ることになるからです。

2014年7月23日水曜日

世界資本主義の暴走

IMFは六月十八日、六・七億ドルの支援に合意したが、これだけで十分だとは考えられていない。そしてロシアへの連鎖は、ロシアへのエクスポージャーが最も多いドイツへとつながる。また、混乱が中国・香港からアジア全体に再び拡がるとなると、アメリカ企業も大きな影響を受けることにもなる。すなわち円安問題は、香港・中国への直接的な連鎖等を通じて、全世界的影響をもたらす可能性があるわけなのだ。

たしかに日本だけの問題としてみた場合、円安にはプラス面と、マイナス面があり、場合によると円安がプラスであると立論することは可能である。しかし、円安のグローバルなインパクトを考慮すると、そのマイナスは極めて大きく、他国への悪影響は間接的に日本に跳ね返ってくる可能性が大きい。それはいままでいわれていたような他国との、特にアメリカとの通商摩擦というだけではなく、新興市場国、そして最終的には先進国を含む国際金融システム全体のバランスの破壊ということをもたらす可能性を含んでいる。

国際金融市場のバランスは、すでに九七年夏以来のいわゆるアジア危機で相当崩れており、大量の資金がアジアから欧米に流れ、欧米の市場はかなりバブル的様相を示しはじめている。それに円安を起点とした第二ラウンドが加わると、システムの歪みはもはや維持できなくなるところまで進む可能性があると考えられているのである。

グローバル化し、しかもヴァーチャル化した現在の世界資本主義は、巨大かつ速い資本の移動にゆさぶられ、その不安定性を急速に増してきているということができるのであろう。たえまなく流れる情報を種にコンピュータを通じて取引されるグローバルな金融市場では、ポジティブなフィードバックがかかりやすく、価格は常にオーバーシュートする可能性がある。

2014年7月9日水曜日

ムラおこし発祥の地

この会社にも課題がある。Uターンさせるためには社員を増やさなければならない。しかし多すぎると経営を悪化させる。そこで生産とは別に、流通対策に取り組んだ。作れば売れるがそれも今だからこそだ。すでに、東南アジアから安価なエビが入るようになり、これは将来増え続ける。品質的には競合しないが、いずれ姫島の市場を脅かしていくに違いない。そこで販売部門だけを別会社にした。

六三年六月に設立した姫島商事株式会社は従業員五人で、車エビの販売と広告企画を一手に引き受け、とくに贈答用商品のPRに力を入れている。さらに、近い将来、東京営業所の設立も検討されている。

「田舎であればあるほど、地元の産業は雇用を重視しなければならない。従業員が少なくて済むハイテク産業よりは水産業の方が雇用促進の効果がある。だけど、田舎だけにいては刺激も少ないし、知識も身につかない。学校を出たら都会で働く、人に使われる経験をしてUターンしてほしい。営業マソの採用も計画してトるので、大都市相手に営業できる度胸のいい人、そして標準語のできる人を募集しています」藤本昭夫、四七歳。姫島村村長、兼姫島車えび養殖株式会社常務取締役の挑戦が続く。

農業と温泉の町、湯布院町は大分県の中央部にあり、人口一万二〇〇〇人。どこにでもありそうな、ごく普通のこの町に年間三〇〇万人もの観光客が訪れている。とりわけ、週末には肩からポシエットを下げたギャルやOLがかっ歩する。にぎわいは西の軽井沢だ。
 
ここも大山町と並んでムラおこし発祥の地。外に向かって明快なイメージを訴え、内に向かっては外のイメージに近づけようと意欲を燃やしつづけてきた。何もない町でどう生きるか。いや、何もないことはない。血気盛んな経営者たちを中心にした「人」がいた。したたかな湯布院のムラおこしは、「人」から始まった。

2014年6月24日火曜日

しばしば無口になる

「私」は「自分」を直接には知らない、と書いている。だが読者は、「自分」とは「私」なり、つまり、手記の主人公「自分」は、「私」すなわち太宰治だと承知でこの小説を読む。太宰はもちろん、それを百も承知で、直接には知らない狂人の手記のかたちにしている。大岡昇平さん(大岡さんには生前誓咳に接しているので、さんづけで書く。)も同工の作法で「野火」という「私」が主人公の作品を書いている。この手記を書いたのは、東京郊外の精神病院に入院している患者というかたちにしている。この「私」は、、いわゆる狂人ではない、軽度の記憶喪失者である。

「私」は、兵上としてフィリピンの山中を放浪していて、ある時期記憶を失う。記憶を取り戻したときには、米軍の野戦病院に収容されていた。その後「私」は帰国して精神病院に入院して、医師に薦められて手記を書く。「私」は、山中放浪から米軍に収容されるいっときの喪失期間以前と以後については記憶を喪失していない。だから、作中の医師の言うように、「小説みたい」な手記が、みごとに書けるわけだが、それにしても、太宰治にしろ、大岡さんにしろ、「私」が主人公の小説を書くのに、なぜ、狂人だの、記憶喪失患者だのを登場させてひねってみせなければならなかったのだろうか。

「私」が主人公の小説と言っても、もちろん小説中の「私」は、そのまま作者そのものではない。私は、ひねったりはいたしません、一途に、ありのままに、正直に自分を語ってみようと思います、そういう気持姿勢で書いた私小説の「私」も、それがそのまま作者であるということは、ありえない。けれども作者には、できるだけ、ひねりや作意を押えようと試みる者あり、一ひねりも二ひねりもした表現をしようとする者あり、である。

太宰治や大岡昇平さんのひねりは、そうすることの内底には、作者の自身のテレとの格闘もあったのではないか、と私は想像する。 大岡昇平さんも、恥の意識過剰の人だが、太宰治ぐらい、それを言葉にも出し、ヒイヒイと愚痴っぽく、派手に書いた作家はいない。それをろくに□に出さず、しかし、過剰に意識している人もいるだろう。助平は、しばしば無口になりがちである。

うっかり□にすると、その言葉だけで興奮してしまう自分を知っていて、それがこわいので、せめて寡黙に自分を閉じ込めてバランスを取るのである。その逆の方法もある。助平は、やらだ毒舌に、助平な言葉を口にし、助平なことを思い続ければ、不感症になる。そのようにして助平から解放される。恥に関して、太宰治は、後者の方法で、逃げ出そうとしたのである。

2014年6月10日火曜日

痛風とはどのような病気か

かつては、痛風は非常に稀な病気であり、明治初期には「日本に痛風なし」といわれたほどでした。しかし一九六〇年代から痛風患者数は激増しています。一九八〇年以降もなお痛風患者数は増加しており、一九七九年の厚生省患者調査で六八〇〇名、一九八四年には一万六〇〇名、一九九〇年には一万二七〇〇名でした。また、痛風予備群である高尿酸血症患者は現在少なく見積もっても一五〇万人といわれ、人間ドックでは男性の約二〇%に高尿酸血症が認められます。さらに、単に患者数が増えているだけでなく、発症年齢の低年齢化も指摘されています。

痛風患者の増加、若年化の背景には環境因子が密接に関与しており、痛風も生活習慣病の一つということになります。痛風の基盤となる高尿酸血症には有効な薬物療法がありますが、患者数の増加を考えると、痛風の予防を真剣に考える必要があります。

痛風は、血液中の尿酸濃度が高くなる「高尿酸血症」という状態が長く続いた後に、結晶化した尿酸が原因で関節炎が起こったり、腎臓が障害されたりする病気です。尿酸が関節内で結晶化し、これを白血球が異物と認識して貧食することにより急性関節炎が起こります。これを痛風発作といい、母趾の付け根の関節に最も頻繁に起こります。たいていの場合非常に激しい痛みを伴うためほとんど歩けず、靴も履けないくらいです。しかし七~一〇日で自然によくなり、次の発作までは全く無症状ですが、かならず再発します。

治療せずに放置しておくと、関節炎が重症になるばかりでなく、内臓、特に腎臓の機能が次第に障害されることがあります。高尿酸血症に対する有効な薬物がなかった時代には痛風患者の死因の大半を尿毒症が占めていました。高尿酸血症に対してきちんと治療が行われるようになった現在では、高尿酸血症が原因となった尿毒症はほとんどなくなりました。しかし、痛風患者には肥満や高脂血症の合併が多く、高血圧症、虚血性心臓病、脳卒中なども合併しています。

2014年5月23日金曜日

研究と評論

さてデイトキーパーを目差すジャーナリストにとっては科学的方法に基づく、客観的報道が第一の機能であった。しかしいかなる社会においても意見の主張、あるいは評論を欠いたジャーナリズムは、存在しないであろう。ゲイトキーパーを目差すジャーナリズムにおいても、客観的報道とともに評論は、欠くことのできない重要な分野を構成している。考えてみると、私自身今日まで研究と評論という二つの分野に足をかけて生きてきた。研究者の生活と評論家の生活とは、そもそも矛盾しないものなのだろうか。

私自身この問題を考えることになったのは、一九七五年六月、「東京新聞」などに掲載される論壇時評を、担当することになったときである。論壇時評とは、総合雑誌の主要な論文を取り上げる批評欄である。一口に月刊雑誌の批評欄といっても、月刊誌に掲載される論文の数は多い。それにこれらの論文の著者は親しい友人とまでいかなくても、互いに面識のある人が多い。学会の関係もある。そこで自然多くの評者は、できるだけ多くの論文をとりあげて多くの著者の顔を立て、同時に適当にこれらの論文をほめてお茶をにごすのが習慣になっていた。当然読者が読んで、おもしろい批評欄ができるわけがない。そのため私は論壇時評などはそれまでほとんど読んだことがなかった。

そこで論壇時評を始めるに当って私は第一に少なくとも論文の著者よりは、読者を大切にしようと思った。つまり著者や編集者に気がねした内輪ぼめの批評では、百万を単位に数えなければならない新聞の読者に、いかにも不公平だと思ったのである。そこで私はたとえば論壇時評には当時とり上げられたことのなかった、「文芸春秋」の論文を積極的にとりあげた。

その頃の「文芸春秋」は言論界のタブーになっていた問題を次々にとりあげて、部数も百万台に向って、どんどん伸びていた。私はまた週刊誌やサトウーサンペイ氏の漫画なども取り上げた。固い雑誌論文が、遠慮して明らかにしないような批評を、週刊誌やサトウ氏の漫画は、ズバリと述べている場合が多かったのである。また私は時評を書く前には、毎月必ず外国の雑誌をまとめて読み、日本の論壇が避けていた問題や視点も、とり入れることに努めた。

2014年5月2日金曜日

目標の喪失と成長の鈍化

そうなったことが、私にはほんとうに信じられない。そうなるについては、たしかに国際環境も手伝っただろうが、明らかに日本人自身もずいぶん頑張ったのだ。このすばらしい成果を前にして、その恩恵にも十分浴しながら、「『豊かさ』の『実感』がない」などとうそぶいて、いとも簡単にそれをおとしめるような議論をする人を、論理ではなく感情の問題として、私はとうてい許せない。感情的な言い方で申し訳ないが、「けしがらぬ」と思う。

もっとも、何年か前、自分が日頃接する学生諸君が生まれたときには、東海道新幹線はすでに開通していたことにたまたま気づいて、私は愕然としたことがある。そうだ。彼らには敗戦直後のあの悲惨が、まったく記憶にないのだ。「豊かさ」を当然のこととして生まれ育つた彼らが、それを時にはおとしめたくなっても、あるいはやむを得ないのかもしれない。だが、あの悲惨の記憶を持つ世代(つまり、私と同世代)の人びとが、いとも簡単に「豊かさ」をおとしめるのは、とうてい許せない。しかも世には、そういう人びとがずいぶんいる。

何年か前、「最近は、アメリカ特集がさっぱり売れなくなった。以前はそうではなかっだのに」という話を、ある雑誌編集者から聞いたことがある。最近の大学生は、アメリカへの関心がすこぶる弱いと、大学で教えているある友人が言っていた。それらすべてが、私にはとうてい信じられないことである。

かつて映画館のスクリーン(あるいはテレビードラマ)で見て、そのすばらしさに圧倒された「アメリカンーウェイーオブーライフ」が、まさに「豊かさ」というものだった。その中心をなす商品(川勝平太氏の言う「物産複合」)は、車と、一連の家電製品(家庭電器製品)とである。

車と一連の家電製品とを中心とする「豊かさ」のライフスタイルは、二十世紀前半のアメリカに生まれ、当のアメリカでは、世紀半ばにほぼ完成したものと見られる。二十世紀後半は、それが、まず西ヨーロッパと日本とに伝わり、次いで全世界に広がった時期である。日本でそれを象徴するキーワードが、昭和三十年代の「三種の神器」(電気洗濯機・電気冷蔵庫・黒白テレビ)と、昭和四十年代の「3C」とであろう。

2014年4月17日木曜日

日本的経営は正しかった

このことを考えると、ひとたび「『ヒラの人たち』の反乱」が起これば、その影響がきわめて広範なことは、容易に推察がつくだろう。もっとも、「反乱」といっても、実際に暴力沙汰が起こって、流血の惨事を招くようなことは、そう多くはないかもしれない。

しかし、何よりもまず、企業内で労使関係が悪化し、労使間の雰囲気は険悪化するだろう。そういう雰囲気の下では、企業の生産性は低下し、品質のいい製品を低コストでつくることなど、とうていおぼつかない。さらには、社会の随所で、人びとはきちんと働かなくなり、諸サービスのレベルは目に見えて低下する。それがさらには、争いごとの増加、犯罪の多発、治安の悪化等々にまで及ぶ可能性も、大いにある。

その変化を一語で表現すれば、いささか曖昧だが、「社会のレベル」が下がるとでも言うしか、他に言いようがない。そういう社会は、明らかに「よき社会」の名には値しないだろう。そうした変化が、たとえばGNP統計にどのように表われるかはともかくとして(目立った形では、すぐには数字には表われないかもしれないが)、日々暮らしていくうえで、不愉快なことが多くなることだけは確実である。

歴史の前例を見ると、繁栄はけっして永遠にはつづかず、やがては衰退過程に移行する。そういう衰退過程では、こうした「社会のレベル」の低下のようなことが、必ず起こるのではないだろうか。ここで注目を要するのは、繁栄のときに社会が到達したレベルが、そのままには維持できず、徐々に低下していくことである。

しかし、いちばん重要なのは、「規律」がなくなり、「レベル」が低下するといっても、それはただ、「失業と飢えの恐怖」という「脅し」が効かなくなっただけのことだ、という点である。「脅し」によってしか「規律」が維持できないというのは、けっして上等な方法ではなく、考えてみれば、まことにお粗末な話でしかない。