2013年7月5日金曜日

ソ連経済はなぜ減速したのか

これらの論調を代表するものとして、カルビン・B・フーバーの一九五七年の論文がある。西側の経済学者の多くがそうしたように、フーバーも、ソ連の政府統計は成長率を過大評価していると批判している。しかし、結論としては、ソ連の成長率がかなり高いことを認めており、「どの期間をとっても主要な資本主義国の二倍であり、アメリカの年平均成長率の三倍である」としている。さらに、経済成長を達成するうえでは、市場経済システムに基づく民主主義国家より「一党独裁制に基づく全体主義国家Lの方が本質的に優れている可能性があるとしており、七〇年代はじめには、ソ連が経済力でアメリカを追い抜くと予測している。

こうした見方は、当時としては珍しいものではなく、むしろ、あたりまえのことと受け止められていた。ソ連の計画経済は非人間的な制度であり、消費財を供給するうえでは問題もあるが、経済成長を促進するうえでは有効であるというのが、一般的な見方であった。ワシリー・レオンチェフは一九六〇年の論文で、ソ連経済は「冷徹で揺るぎない方針に沿って運営されている」と述べている。レオンチェフが根拠を示すことなくこのような見解を表明したのは、読者もおなじ見方であるという確信があったからだ。しかし、ソ連の経済成長を研究する経済学者の多くは、やがて、まったく違う結論に行き着いた。ソ連経済が実際に急成長をとげていることについては、異論はなかったが、成長の性格について新しい解釈を示し、ソ連の成長見通しを見直す必要があると主張した。こうした新解釈を理解するには、少し回り道をして、成長会計に関する理論を見てみる必要がある。成長会計というと、一見、難解そうだが、実はごく常識的なことである。

経済成長は、二つの源泉による成長の和と考えることができる。ひとつは、「投入」の増加である。雇用の増加、労働者の教育水準の向上、物的資本(機械設備、建物、道路など)のストックの増加だ。もうひとつは、投入一単位当たりの産出の増加である。これは、経済運営や経済政策の改善による場合もあるが、長期的に見れば、知識の蓄積によるところが大きい。成長会計の基本となる考え方は、この二つについて明確な指標の数値を算出し、この単純な公式の内容を豊かにしていくことである。その結果、経済成長率のうち、どこまでがどの投入要素(投資、労働など)の増加によるものか、どこまでが効率性の向上によるものかを知ることができる。

労働生産性を話題にする場合にはだれでも、成長会計の初歩を利用している。つまり、経済成長のうち、労働力供給の増加に起因する部分と、労働者が生産する財の平均価値の増加に起因する部分を、暗黙のうちに区別している。もっとも、労働生産性の伸びはかならずしも、労働者の効率性の向上によるとはかぎらない。労働は投入の一要素にすぎない。労働者の生産の増加が、管理の改善や技術知識の向上によるのではなく、設備の向上によってもたらされる場合もある。たとえば、建設機械を使えばシャベルを使うより速く穴を掘れるが、これは労働者の効率性が向上したためではない。労働者が使える設備資本が増加したからである。成長会計のねらいは、測定できるかぎりの投入要素をひとまとめにして指標をつくり、経済成長率とこの指標の伸び率を比較し、経済の効率性、経済学の用語を使えば「全要素生産性」を推計することである。

このように説明すると、まったく学問的な話に聞こえるかもしれない。しかし、成長会計の視点から経済成長のプロセスを考えれば、すぐに重要な点に気がつくはずである。ある国の一人当たり所得が長期にわたって伸びつづけるとすれば、それは、投入一単位当たりの産出が増加している場合以外にはありえない、という点である。投入が増加しても、その利用効率が向上しなければ(機械設備やインフラストラクチャーへの投資の効率が向上しなければ)、いずれ収益が逓減することは避けられない。投入主導型の成長には、おのずと限界がある。