2013年7月5日金曜日

ソ連の統計に問題があった

それでは、現在の先進国ではなぜ、過去一五〇年間にわたって一人当たり所得が増加しつづけることができたのだろうか。それは、技術の進歩によって、全要素生産性が上昇しつづけているからである。つまり、投入一単位当たりの国民所得が、増加しつづけているからだ。この点については、マサチューセッツ工科大学のロバートーソロー教授の推計がよく知られている。それによると、アメリカの一人当たり所得の長期的な伸びのうち、八〇パーセントは技術の進歩によるものであり、投入資本の増加によるものは二〇パーセントにすぎない。

経済学者はソ連の経済成長を研究するにあたって、成長会計の手法を使った。ソ連の統計に問題があったことはいうまでもない。投入と産出に関する推計を集め、こうした断片的な情報を継ぎ合わせるだけでもたいへんな作業であったが(エール大学のレイモンドーパウェル教授は「多くの点で遺跡の発掘作業に似ている」と書いている)、もうひとつ、概念上の問題があった。社会主義経済では、市場収益から投入資本を推計することが不可能に近かった。そこで、研究ではやむをえず、経済の発展段階が同程度の資本主義国の収益に基づいて、社会主義国の収益を想定した。

こうした問題はあったものの、研究を始めるにあたって、どんな結果が出るか、かなりの確信があった。資本主義国の経済成長は投入の増加と効率性の向上の両面に基づいたものであり、一人当たり所得の増加の最大の要因は効率性の上昇である。おなじように、ソ連の経済成長も投入の急速な増加と効率性の急速な向上によるものだという結果が出るものと、研究者たちは予想していた。しかし、予想はみごとに裏切られた。ソ連の経済成長は、投入の急速な増加のみによるものであることがわかったのだ。効率性の伸び率は低く、西側諸国をはるかに下回っていた。効率性の伸びが事実上なかったことを示す推計もあったほどだ。

ソ連が経済資源の総動員態勢をとっていることは、はじめからわかっていた。スターリン主義の計画経済では、大量の労働者が農村から都市に移住させられ、女性が労働力としてかり出され、男性の労働時間が延長され、教育制度が大幅に拡充された。さらに、もっとも重要な点として、工業生産のうち新規の工場建設に充てられる部分の比率が一貫して上昇していた。しかし、これはすでにわかっていたことである。研究者にとって意外だったのは、程度の差こそあれ測定できる投入の影響をすべて考慮すると、成長率のうち、これらの要因によって説明できない部分が残っていなかったことである。ソ連の経済成長がこれほどすっきりと説明がつくとは、思いもよらなかったのだ。

経済成長がほぼすべて投入の増加によって説明できる点から、重要な結論を二つ導くことができた。第一に、計画経済が市場経済よりも優れているという主張は、誤解に基づいていることがわかった。ソ連経済に特別な力があるとすれば、それは、資源を動員する能力であり、資源を効率的に利用する能力ではない。一九六〇年当時、ソ連の効率性がアメリカよりもはるかに低かったことは、だれの目にも明らかだ。しかし、このギャップが縮まる兆しすら見えなかったことは意外である。第二に、投入主導型の成長にはおのずと限界があり、ソ連経済が減速することはほぼ確実だった。ソ連経済の減速が明らかになるはるか以前に、成長会計でそれが予測されていた(ソ連経済が三〇年後に崩壊することになるとは、経済学者も予測していなかったが、これはまったく別の問題である)。