2013年7月5日金曜日

成長会計の計算

ソ連の経済成長をめぐる論争は話として面白いだけでなく、従来の傾向をそのまま将来の予測に当てはめることが、いかに危険であるかを示す格好の教訓である。それでは、現在の世界についても、おなじことがいえるだろうか。近年のアジア諸国と三〇年前のソ連との間には、一見、共通点がなさそうに見える。むしろ、共通点などまったくないというのが、妥当な見方だろう。たとえば、シンガポールに出張して豪華なホテルに泊まったビジネスマンには、ゴキブリが徘徊するモスクワのホテルとは、なんの共通点も思いつかないだろう。活気に満ちたアジア諸国の高度経済成長と、厳格な統制のもとに進められたソ連の工業化を、そもそも比較できるのだろうか。

しかし、両者の間には意外にも共通点がある。一九五〇年代のソ連がそうであったように、アジアの新興工業国の高度成長も、資源の総動員が最大の要因となっている。経済成長のうち、投入の急速な増加によって説明できる部分を除けば、残りはほとんどない。高度成長期のソ連がそうであったように、アジア諸国の経済成長も、効率性の上昇ではなく、労働、資本など投入の大幅な増加が原動力になっている。シンガポールのケースを考えてみよう。一九六六年から九〇年までのシンガポールの経済成長率はじつに年率八・五パーセントとなっており、アメリカの三倍である。一人当たり所得の伸びは同六・六パーセントであり、一〇年ごとにほぼ倍増していることになる。

こうした成長率の高さを見れば、奇跡といえなくもない。しかし、この奇跡は、ひらめきではなく、努力に基づいたものであることがわかる。シンガポールは資源の動員によって経済成長を達成しているのだ。スターリンが誇ったような資源の動員である。人口に占める雇用者の割合は、二七パーセントから五一パーセントに上昇している。労働者の教育水準は飛躍的に向上しておりヽ 一九六六年には労働者の半数以上が学校教育を受けていなかつたが、九〇年には三分の二が高卒以上である。さらに、物的資本に膨大な投資を行っており、投資率は一二パーセントから四〇パーセント余りに上昇している。

成長会計の計算をするまでもなく、こうした数字から、シンガポールの経済成長が一回かぎりの行動様式の変化によるものであることが、はっきりとわかる。ここ三〇年の間に、人口に占める雇用者の割合はほぼ倍増している。これから、さらに倍増することはありえない。三〇年前には学校教育を受けた労働者が半数以下であったが、いまでは大多数が高卒以上である。しかし、いまから三〇年後に、労働者の大半が博士号をもつようになることは、ありそうもない。さらに、四〇八-セントという投資率はどんな基準から見ても、きわめて高い。それが七〇パーセントになると考えるのは、馬鹿げている。このように、シンガポールが今後も従来どおりの成長率を続けることがありえないのは、一目瞭然である。

しかし、実際に成長会計の計算をしてみると、意外な結果があらわれる。シンガポールの経済成長は、測定できる投入の増加によってすべて説明できるのだ。効率性が向上していることを示すものはなにもない。この点で、リー・クアンユー時代のシンガポール経済とスターリン時代のソ連経済とは、双子のようによく似ている。どちらも、資源の動員のみによって経済成長を達成しているのだ。いうまでもなく、現在のシンガポールはソ連のどの時代よりも(最盛期のブレジネフ時代よりも)、はるかに豊かである。これは、シンガボールの効率性がいまだに先進国を下回っているものの、かつてのソ連とくらべれば、先進国に近いからである。むしろ重要なのは、シンガポール経済がつねに、比較的効率性が高かったことだ。シンガポールではつねに資本や、教育を受けた労働者が不足していた。