細川内閣の政治改革は「政界」の仕掛けを変えた。だが、その中味と結果は褒められたものではない。小選挙区制は国民の選択の幅を狭めたし、比例代表制の導入は各政党執行部の権力を強めた。政党助成金は、国民が政治献金によって強い支持を表明する効果を薄れさせた。しかもこれで、政治が金に左右されない清潔なものになったわけではない。政治資金規正法の網の目をくぐり抜けて来る少額の金が、日本の政界に甚大な影響力を持つようになっただけだ。最近の政界スキャンダル、KSD事件や鈴木宗男議員の問題がその典型である。
橋本首相が「火の玉になってやる」といった「六大改革」も、結果は行政の仕掛けをいくらか変えただけに終わった。社会保障改革は中途半端だったし、経済構造はほとんど手付かずだった。教育は「ゆとり」という名の怠惰をはびこらせる格好になったし、金融は悪しき先送りになってしまった。橋本総理が熱を入れた財政改革は、ただの引き締め政策(量的削減)となり、大不況をもたらした。
唯一、実効を上げた行政改革も、官僚機構全体の権限と人数の削減には切り込めなかった。つまり行政の仕掛けを変えただけで、官僚主導の「文化」を変えるにはならなかった。小渕内閣の改革は一歩踏み込んだ、といえるかも知れない。金融再生では平等(横並び)と安全(潰さな号の基準を超えて、市場による淘汰の原理を持ち込んだ。流通大手や建設会社を倒産するに任せたのも同じ意味である。
労働の流動化、企業の合併分割の推進、SPC(特定目的会社)やNPO(非営利団体)の制度化も同じ方向でのものであった。だが、その成果は小渕内閣の後までは持続しなかった。社会の体制と体質、国民の気質が変わらず、経済と企業の仕組みを改めたにとどまった、というべきだろう。
小泉総理大臣が提唱し推進する改革も、郵政事業や道路事業の仕組みを変更するのが精一杯だろう。あるいはそれすらできないのではないか、と危惧されている。どうしてこうも、改革は挫折するのか。あるいは実効性の乏しいものになるのか。政治家や官僚の抵抗が強いから、というのでは回答にならない。およそ改革に政治的抵抗がないはずがない。要は、それを押し切れるほどの勇気と世論の支持があるか否かである。
2015年9月14日月曜日
外資との大型合併
この構想を検討すべき理由に、いまひとつ、郵貯の「自主運用」問題の危険性がある。独立行政法人になったら、苦労して集めた金を大蔵省の縄張りの財政投融資のために使うのではなく、自分で運用するのは当たり前だ、これが財投改革だ、ということなのだろうが、これは危険な発想でもある。これまでのように予算案の審議の形でチェックを受けなくなる分、無責任な運用になる危険が高まるからである。自主運用とするなら、責任体制を確立し、その成果が第三者によって評価されるよう、国民への情報公開も徹底されなければならない。
民間では運用に失敗すれば、金融機関は倒産し、運用責任者は首になるという規律が働く。しかし、郵貯・簡易保険は、独立行政法人になるとはいえ、親方日の丸である。郵便ネットワークの政治力は、民営化の要求など一蹴したほど強大である。資金が非効率に(ときに政治的に)使われることのない保証がいる。それには郵貯機関を純粋銀行として効率的かつ安全な経営をしながら、僻地や社会的弱者へのサービスも提供するネ。トワークとするのが、国民の支持も得られ、かつ競争的な金融システムの中で存在理由を確立しうる道ではないだろうか。
ひとまず右のように、再編への道筋を整理したところで、相互に関係する二つの問題をあらためて考えてみたい。一つは、いうまでもなく外資との関係である。これまでにも数々の提携や資本参加の動きがあったことはすでに見たとおりだが、前章で述べたような国境を越えたダイナミックな再編の流れに、日本の金融機関、とくに大手・中堅の銀行、証券会社などがはたして無縁でいられるのかどうか。もし、大型の買収・合併劇が、日本の金融機関を巻き込んで行われるとすれば、それはどのような局面においてであろうか。
いうまでもなく外資は、きわめて厳しい予算制約のもとで効率的な投資の意思決定をする。高い株主資本利益率を要求されている以上、長期的見地と称して(実はどんぶり勘定で)海外金融機関を買収していた日本の銀行経営者とは基本的な発想が違う。したがって、米国の株高と日本の株安というチャンスにあっても、それがそのまま大型買収が加速することを意味するわけではない。
民間では運用に失敗すれば、金融機関は倒産し、運用責任者は首になるという規律が働く。しかし、郵貯・簡易保険は、独立行政法人になるとはいえ、親方日の丸である。郵便ネットワークの政治力は、民営化の要求など一蹴したほど強大である。資金が非効率に(ときに政治的に)使われることのない保証がいる。それには郵貯機関を純粋銀行として効率的かつ安全な経営をしながら、僻地や社会的弱者へのサービスも提供するネ。トワークとするのが、国民の支持も得られ、かつ競争的な金融システムの中で存在理由を確立しうる道ではないだろうか。
ひとまず右のように、再編への道筋を整理したところで、相互に関係する二つの問題をあらためて考えてみたい。一つは、いうまでもなく外資との関係である。これまでにも数々の提携や資本参加の動きがあったことはすでに見たとおりだが、前章で述べたような国境を越えたダイナミックな再編の流れに、日本の金融機関、とくに大手・中堅の銀行、証券会社などがはたして無縁でいられるのかどうか。もし、大型の買収・合併劇が、日本の金融機関を巻き込んで行われるとすれば、それはどのような局面においてであろうか。
いうまでもなく外資は、きわめて厳しい予算制約のもとで効率的な投資の意思決定をする。高い株主資本利益率を要求されている以上、長期的見地と称して(実はどんぶり勘定で)海外金融機関を買収していた日本の銀行経営者とは基本的な発想が違う。したがって、米国の株高と日本の株安というチャンスにあっても、それがそのまま大型買収が加速することを意味するわけではない。
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