2014年6月24日火曜日

しばしば無口になる

「私」は「自分」を直接には知らない、と書いている。だが読者は、「自分」とは「私」なり、つまり、手記の主人公「自分」は、「私」すなわち太宰治だと承知でこの小説を読む。太宰はもちろん、それを百も承知で、直接には知らない狂人の手記のかたちにしている。大岡昇平さん(大岡さんには生前誓咳に接しているので、さんづけで書く。)も同工の作法で「野火」という「私」が主人公の作品を書いている。この手記を書いたのは、東京郊外の精神病院に入院している患者というかたちにしている。この「私」は、、いわゆる狂人ではない、軽度の記憶喪失者である。

「私」は、兵上としてフィリピンの山中を放浪していて、ある時期記憶を失う。記憶を取り戻したときには、米軍の野戦病院に収容されていた。その後「私」は帰国して精神病院に入院して、医師に薦められて手記を書く。「私」は、山中放浪から米軍に収容されるいっときの喪失期間以前と以後については記憶を喪失していない。だから、作中の医師の言うように、「小説みたい」な手記が、みごとに書けるわけだが、それにしても、太宰治にしろ、大岡さんにしろ、「私」が主人公の小説を書くのに、なぜ、狂人だの、記憶喪失患者だのを登場させてひねってみせなければならなかったのだろうか。

「私」が主人公の小説と言っても、もちろん小説中の「私」は、そのまま作者そのものではない。私は、ひねったりはいたしません、一途に、ありのままに、正直に自分を語ってみようと思います、そういう気持姿勢で書いた私小説の「私」も、それがそのまま作者であるということは、ありえない。けれども作者には、できるだけ、ひねりや作意を押えようと試みる者あり、一ひねりも二ひねりもした表現をしようとする者あり、である。

太宰治や大岡昇平さんのひねりは、そうすることの内底には、作者の自身のテレとの格闘もあったのではないか、と私は想像する。 大岡昇平さんも、恥の意識過剰の人だが、太宰治ぐらい、それを言葉にも出し、ヒイヒイと愚痴っぽく、派手に書いた作家はいない。それをろくに□に出さず、しかし、過剰に意識している人もいるだろう。助平は、しばしば無口になりがちである。

うっかり□にすると、その言葉だけで興奮してしまう自分を知っていて、それがこわいので、せめて寡黙に自分を閉じ込めてバランスを取るのである。その逆の方法もある。助平は、やらだ毒舌に、助平な言葉を口にし、助平なことを思い続ければ、不感症になる。そのようにして助平から解放される。恥に関して、太宰治は、後者の方法で、逃げ出そうとしたのである。

2014年6月10日火曜日

痛風とはどのような病気か

かつては、痛風は非常に稀な病気であり、明治初期には「日本に痛風なし」といわれたほどでした。しかし一九六〇年代から痛風患者数は激増しています。一九八〇年以降もなお痛風患者数は増加しており、一九七九年の厚生省患者調査で六八〇〇名、一九八四年には一万六〇〇名、一九九〇年には一万二七〇〇名でした。また、痛風予備群である高尿酸血症患者は現在少なく見積もっても一五〇万人といわれ、人間ドックでは男性の約二〇%に高尿酸血症が認められます。さらに、単に患者数が増えているだけでなく、発症年齢の低年齢化も指摘されています。

痛風患者の増加、若年化の背景には環境因子が密接に関与しており、痛風も生活習慣病の一つということになります。痛風の基盤となる高尿酸血症には有効な薬物療法がありますが、患者数の増加を考えると、痛風の予防を真剣に考える必要があります。

痛風は、血液中の尿酸濃度が高くなる「高尿酸血症」という状態が長く続いた後に、結晶化した尿酸が原因で関節炎が起こったり、腎臓が障害されたりする病気です。尿酸が関節内で結晶化し、これを白血球が異物と認識して貧食することにより急性関節炎が起こります。これを痛風発作といい、母趾の付け根の関節に最も頻繁に起こります。たいていの場合非常に激しい痛みを伴うためほとんど歩けず、靴も履けないくらいです。しかし七~一〇日で自然によくなり、次の発作までは全く無症状ですが、かならず再発します。

治療せずに放置しておくと、関節炎が重症になるばかりでなく、内臓、特に腎臓の機能が次第に障害されることがあります。高尿酸血症に対する有効な薬物がなかった時代には痛風患者の死因の大半を尿毒症が占めていました。高尿酸血症に対してきちんと治療が行われるようになった現在では、高尿酸血症が原因となった尿毒症はほとんどなくなりました。しかし、痛風患者には肥満や高脂血症の合併が多く、高血圧症、虚血性心臓病、脳卒中なども合併しています。