どれぐらいの医師数が妥当なのかというのは実はよくわからない。あまり医師数がふえると、いろいろ弊害も出てくるが、そうかといって、医師不足といわれるのも困る。医師数の将来予測というのは、前提の置き方によってどうにでも数字の動くものである。現在の医師の需給状況をみても、「医師は余りはじめた」とも「医師はいぜん不足気味である」ともいえるし、どちらの数字を出すこともできる。
しかし、いくつかの予測数値を見てみると、だいたい二〇〇〇年ごろにはいちおう充足し、二〇一〇年ごろにはかなり余るとみられる(歯科医は現在すでに余りはじめている)。このようにみると国民医療総合政策会議(浅田敏雄座長)が一九九六年一一月中旬に出した中間報告にもある「医学部入学定員の削減強化と保険医への定年制の導入」などの施策はこのさい行なうべきであろう。
また同報告書では、現在の病床数は医療法に基づくニ○万床より五万床多いと指摘、介護保険制度の導入で社会的入院が減るとみられるので病床削減の具体策を検討するよう主張している。この中間報告の建議は、これまでの審議会のペーパーにくらべて前向きではあるが、もうひとつの側面である入院患者の平均在院日数を短縮すれば、当然病床数も減るし、そうなれば医師も大幅に余るということにもなりかねない。
現在、社会的に問題になっている二一世紀の日本の社会保障の再構築は、これまでのところ、国民の自己負担がふえる話ばかりで、いわゆる″いい話”がない。 医師の削減といっても、すぐには効果の上がる方法はない。いまから少しずつ(一〇パーセントぐらい)医学部定員を削減していく以外にはいい方法は考えつかない。そうすると、どうしてもタイムラグのようなものが出る。それなら、いっそのこと、すこし余った医師を大病院の外来に配置して「三時間・三分」(三時間待って診療時間は三分といわれる)を少し解消するようなことを考えてみてはどうだろうか。
2015年7月15日水曜日
2015年6月13日土曜日
最先端の現場を支えていたのは請負従業員だった
「今は、何よりも職業訓練学校に通いたいのに、応募者が殺到して枠がない可能性もある。自分でも調べたい。こんなことやっている場合じゃない」それから、三週間後。神奈川県で開かれた、職業訓練学校の説明会に、西本さんも参加していた。会場は、派遣を打ち切られた人々など失業者で満員だ。介護福祉などさまざまな分野で、希望者が殺到していた。職業訓練学校では六ヵ月間、専門の講師のもとで、さまざまな職業の基礎的な技術を学ぶことができる。訓練費用は原則無料で、学校に通う間は生活費の融資を受けることも可能だ。
西本さんが説明を聞いた仕事は、住宅の内装だった。担当者の説明では、訓練学校を卒業しても、最初の三年間は職人のもとで見習いをしなければならない。給料はて一万~一三万円が相場だという。厳しい実情を聞いた西本さんは「これくらいの給料で、アパートを借りるとカツカツですよね」と、不安をロにした。「学校を卒業しても、やっていけないと思うならば、止めた方がいいと思います。やはり、六ヵ月、一年という期間は貴重だと思いますので」担当者からは、生半可な気持ちで仕事はできないと、諭されてしまった。
しばらく経って、再び西本さんを訪ねた。西本さんは、迷い続けていた。職業訓練学校で技術は身につけたいが、今日を生きるためのお金も稼がねばならない。しかも、今は貯金がゼロ。退寮を迫られているなかで、もう残された時間はない。西本さんに、最後に派遣でもう一度、働きたいか尋ねた。「もう派遣で働きたくないです。今回これだけ社会問題にもなって揉めたら、(派遣労働は)もっと効率のいい形になるでしょうね。企業側は、進化していくでしょうけど、うちら労働者はついていけないですよ」西本さんは寂しそうに笑っていた。
東京・新宿に本社を構える日本マニュファクチャリングサービス。中堅の人材請負会社で、約二五〇のメーカーに対し、四〇〇〇人を超える従業員を生産現場に送り出している。社長の小野文明さん(四九歳)は九年前、請負会社を辞めて独立した。人材の配分は派遣四割、請負六割だが、小野さんは派遣の比率をゼロにすることを、目標にしている。何かと弊害の多い派遣労働ではなく、請負を正しく実践することが、メーカーにとっても、人材会社にとっても、そして従業員たちにも、ペストな選択であると考えているからだ。
小野さんは「派遣ビジネス、労働者供給事業ではない、モノ作りを請負で実戦できる集団を目指す」と従業員たちに訴えた。業界の裏も表も知り尽くしている小野さんは言う。「派遣社員も請負従業員も、非正規と呼ばれているが、僕は非正規という、その言葉自体が大嫌い。僕らにとっては大事な社員です。メーカーとは、契約上請負でやっている仕事なのです」小野さんは、これまでベールに包まれた請負現場の実情について、初めて取材に応じてくれた。ガイア取材班は、関東圏にある工場に出向いた。そこは、ある大手半導体メーカーの工場だった。
西本さんが説明を聞いた仕事は、住宅の内装だった。担当者の説明では、訓練学校を卒業しても、最初の三年間は職人のもとで見習いをしなければならない。給料はて一万~一三万円が相場だという。厳しい実情を聞いた西本さんは「これくらいの給料で、アパートを借りるとカツカツですよね」と、不安をロにした。「学校を卒業しても、やっていけないと思うならば、止めた方がいいと思います。やはり、六ヵ月、一年という期間は貴重だと思いますので」担当者からは、生半可な気持ちで仕事はできないと、諭されてしまった。
しばらく経って、再び西本さんを訪ねた。西本さんは、迷い続けていた。職業訓練学校で技術は身につけたいが、今日を生きるためのお金も稼がねばならない。しかも、今は貯金がゼロ。退寮を迫られているなかで、もう残された時間はない。西本さんに、最後に派遣でもう一度、働きたいか尋ねた。「もう派遣で働きたくないです。今回これだけ社会問題にもなって揉めたら、(派遣労働は)もっと効率のいい形になるでしょうね。企業側は、進化していくでしょうけど、うちら労働者はついていけないですよ」西本さんは寂しそうに笑っていた。
東京・新宿に本社を構える日本マニュファクチャリングサービス。中堅の人材請負会社で、約二五〇のメーカーに対し、四〇〇〇人を超える従業員を生産現場に送り出している。社長の小野文明さん(四九歳)は九年前、請負会社を辞めて独立した。人材の配分は派遣四割、請負六割だが、小野さんは派遣の比率をゼロにすることを、目標にしている。何かと弊害の多い派遣労働ではなく、請負を正しく実践することが、メーカーにとっても、人材会社にとっても、そして従業員たちにも、ペストな選択であると考えているからだ。
小野さんは「派遣ビジネス、労働者供給事業ではない、モノ作りを請負で実戦できる集団を目指す」と従業員たちに訴えた。業界の裏も表も知り尽くしている小野さんは言う。「派遣社員も請負従業員も、非正規と呼ばれているが、僕は非正規という、その言葉自体が大嫌い。僕らにとっては大事な社員です。メーカーとは、契約上請負でやっている仕事なのです」小野さんは、これまでベールに包まれた請負現場の実情について、初めて取材に応じてくれた。ガイア取材班は、関東圏にある工場に出向いた。そこは、ある大手半導体メーカーの工場だった。
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