一九五四年には、早川電機が一〇万円の一四インチテレビを売り出した。松下も翌年、同サイズのテレビを九万円を切る値段で対抗した。わが家では、その年にようやく電気洗濯機を買い込んだが、テレビまでは金は回らなかった。しかし、一九五六年になると、テレビの値段はとうとう六万円台になり、そのあたりで、爆発的に普及しはしめた。
わが家でも思い切って買った。初めて見た番組は、当時一番人気のあった喜劇俳優・榎本健一(エノケン)の舞台劇で、私はテレビの前で笑いころげた。一九六〇年の松下電器のテレビ生産台数は六六万台に達していたのである。
私はその次には必ずモータリゼーションの時代が来ると考えていた。しかし、一九六〇年の日本の乗用車の生産台数はわずかに一六万五〇九四台であった。そのうえ日本の道路はほとんど舗装されておらず道幅も狭く、そこを通過して、アメリカのように、労働者までが自動車で通勤するとは思われなかった。
そういう時代がはたして来るものやら来ないものやら、私は手あたり次第に自動車関係の文献を読み、考えあぐんだ末、ちょうど販売を始めたスバル三六〇を買いこんだ。乗ってみなければ分からないという、技術系の人間の通性からであった。
そしてハンドルを握ったとたん、私は自動車の魅力はテレビの比ではないと実感し、モータリゼーションの日は近いと確信した。私は近所の、アマチュアではあるがオートバイのレースによく出場する友人の協力を得て、あれこれの日本の乗用車に乗ってみた。
それはどれが、将来のフォードTやフォルクスワーゲンに相当する大衆車になるかという見当をつけるためであった。私は、いろいろなクルマを乗り比べるうちに、乗用車は鉄道やバスやオートバイのような、たんなる輸送手段ではなく、動く私の部屋なのだと痛感した。
2016年3月14日月曜日
2016年2月13日土曜日
非自民政権の解体
もっとも、連立与党の新生党党首の小沢一郎は既に以前から、細川の意向を聞いていた。小沢側近の平野貞夫は、四月四日に、小沢から、細川首相が辞めるといっており、その後継政権で必要となる、連立与党の政策合意文書、統一会派について考えをまとめるように言われている。
その後、平野は会見前日の七日に、細川のもとに赴き、退陣表明の発表文などについて協議している(平野貞夫「小沢一郎との二十年」)。細川がこの当時いかに小沢を頼りにしていたかが、こうした経緯からもわかるであろう。人によっては、これを細川内閣の二重権力構造と呼んだ。筆者が辞任の場面から書き始めたのも、これによって連立政権の権力構造の一端が浮かび上がるからである(以降の政権についてもこの叙述を踏襲する)。
その後、細川内閣の与党は分裂含みで推移する。ほどなく細川が代表を務める日本新党は武村が率いるさきがけとの統一会派を解消し、さきがけは閣外協力に転じる。この背景には、九四年度予算の越年編成、国民福祉税構想などをめぐり、ことごとく対立した武村との確執があった。
細川は辞任表明の二ヶ月前の二月、武村の官房長官更迭を含む内閣改造を考えたが、結局、与党の社会党、さきがけの賛成を得られずに頓挫する。他方、武村と同様に、村山富市社会党委員長も、政権運営が独断専行だとして、小沢一郎新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長ヘの批判を強めていた。
細川内閣の与党の新生党(小沢一郎代表幹事)、社会党(村山富市委員長)、日本新党(細川護煕代表)、公明党(石田幸四郎委員長)、民社党(大内啓吾委員長)、さきがけ(武村正義代表)、社民連(江田五月代表)は、こうして、細川辞任を契機に新生党、公明党、民社党などと、社会、さきがけの二つのグループに事実上分裂する。
その後、平野は会見前日の七日に、細川のもとに赴き、退陣表明の発表文などについて協議している(平野貞夫「小沢一郎との二十年」)。細川がこの当時いかに小沢を頼りにしていたかが、こうした経緯からもわかるであろう。人によっては、これを細川内閣の二重権力構造と呼んだ。筆者が辞任の場面から書き始めたのも、これによって連立政権の権力構造の一端が浮かび上がるからである(以降の政権についてもこの叙述を踏襲する)。
その後、細川内閣の与党は分裂含みで推移する。ほどなく細川が代表を務める日本新党は武村が率いるさきがけとの統一会派を解消し、さきがけは閣外協力に転じる。この背景には、九四年度予算の越年編成、国民福祉税構想などをめぐり、ことごとく対立した武村との確執があった。
細川は辞任表明の二ヶ月前の二月、武村の官房長官更迭を含む内閣改造を考えたが、結局、与党の社会党、さきがけの賛成を得られずに頓挫する。他方、武村と同様に、村山富市社会党委員長も、政権運営が独断専行だとして、小沢一郎新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長ヘの批判を強めていた。
細川内閣の与党の新生党(小沢一郎代表幹事)、社会党(村山富市委員長)、日本新党(細川護煕代表)、公明党(石田幸四郎委員長)、民社党(大内啓吾委員長)、さきがけ(武村正義代表)、社民連(江田五月代表)は、こうして、細川辞任を契機に新生党、公明党、民社党などと、社会、さきがけの二つのグループに事実上分裂する。
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