2016年1月16日土曜日

マレーシア・ブミプトラ政策下の権威主義

マレーシアは、アジアにおける典型的な複合人種社会である。ゴムとスズを主要産品とするモノカルチュア経済の生産と流通に直接たずさわり、また都市の商業部門で勢力を伸ばしたのは、外来の移住人種である華人、インド人であった。マレー人は、伝統的村落で稲作を中心とした自給的生活を維持していた。その結果、独立時点のマレーシアにおいて経済的力量を身につけていたのは、華人、インド人であり、先住民であるマレー人の経済的地位はいちじるしく低いものであった。

イスラム教の守護者スルタンを頂点とする、マレーの伝統的政治構造は独立後も守られた。イギリス植民地時代の官僚制度が継承され、イギリス人が独占していたこの官僚機構のなかに独立後参入して行政支配力をにぎったのは、マレー人エリートであった。経済力の中枢を掌握するのが移住人種であり、政治支配の中枢に位置するのがマレー人であるという構造のもとで、国民国家を形成し、国民経済を構築するという、複雑で微妙な課題を背負って出発したのが、マレーシアであった。

各人種の政治エリートの協調路線が独立後の政治の基本であり、統一マレー人国民組織(マラヤインド人会議(MIC)、マラヤ華人公会(MCA)の二者からなる「アライアンス」(了フヤ連合党)が、各人種の利害を「ファインーチューニッグ」微調整しながら、国家を運営するという「調整型」の政党政治システムがとられてきた。マレーシアの場合、その独立はさきにも記したように武力闘争によってではなく、イギリスの「禅譲」によって与えられた。それゆえ、独立闘争のにない手であるはずの軍部の権力と威信は、周辺諸国のそれに比べて弱いものであった。

マレーシアの政治支配の中枢に位置したのは、政治エリートであり、彼らが支配力をにぎる政党であった。とはいえ、アライアンスのそのまた中枢にいたのはマレー人の組織UMNOであり、これが官僚機構を掌握した。UMNOの地位が決定的に強化されたのは、一九六九年五月一三日の人種暴動以降のことであった。