2015年10月14日水曜日

官僚機構全体の権限

細川内閣の政治改革は「政界」の仕掛けを変えた。だが、その中味と結果は褒められたものではない。小選挙区制は国民の選択の幅を狭めたし、比例代表制の導入は各政党執行部の権力を強めた。政党助成金は、国民が政治献金によって強い支持を表明する効果を薄れさせた。しかもこれで、政治が金に左右されない清潔なものになったわけではない。政治資金規正法の網の目をくぐり抜けて来る少額の金が、日本の政界に甚大な影響力を持つようになっただけだ。最近の政界スキャンダル、KSD事件や鈴木宗男議員の問題がその典型である。

橋本首相が「火の玉になってやる」といった「六大改革」も、結果は行政の仕掛けをいくらか変えただけに終わった。社会保障改革は中途半端だったし、経済構造はほとんど手付かずだった。教育は「ゆとり」という名の怠惰をはびこらせる格好になったし、金融は悪しき先送りになってしまった。橋本総理が熱を入れた財政改革は、ただの引き締め政策(量的削減)となり、大不況をもたらした。

唯一、実効を上げた行政改革も、官僚機構全体の権限と人数の削減には切り込めなかった。つまり行政の仕掛けを変えただけで、官僚主導の「文化」を変えるにはならなかった。小渕内閣の改革は一歩踏み込んだ、といえるかも知れない。金融再生では平等(横並び)と安全(潰さな号の基準を超えて、市場による淘汰の原理を持ち込んだ。流通大手や建設会社を倒産するに任せたのも同じ意味である。

労働の流動化、企業の合併分割の推進、SPC(特定目的会社)やNPO(非営利団体)の制度化も同じ方向でのものであった。だが、その成果は小渕内閣の後までは持続しなかった。社会の体制と体質、国民の気質が変わらず、経済と企業の仕組みを改めたにとどまった、というべきだろう。

小泉総理大臣が提唱し推進する改革も、郵政事業や道路事業の仕組みを変更するのが精一杯だろう。あるいはそれすらできないのではないか、と危惧されている。どうしてこうも、改革は挫折するのか。あるいは実効性の乏しいものになるのか。政治家や官僚の抵抗が強いから、というのでは回答にならない。およそ改革に政治的抵抗がないはずがない。要は、それを押し切れるほどの勇気と世論の支持があるか否かである。