2015年9月14日月曜日

外資との大型合併

この構想を検討すべき理由に、いまひとつ、郵貯の「自主運用」問題の危険性がある。独立行政法人になったら、苦労して集めた金を大蔵省の縄張りの財政投融資のために使うのではなく、自分で運用するのは当たり前だ、これが財投改革だ、ということなのだろうが、これは危険な発想でもある。これまでのように予算案の審議の形でチェックを受けなくなる分、無責任な運用になる危険が高まるからである。自主運用とするなら、責任体制を確立し、その成果が第三者によって評価されるよう、国民への情報公開も徹底されなければならない。

民間では運用に失敗すれば、金融機関は倒産し、運用責任者は首になるという規律が働く。しかし、郵貯・簡易保険は、独立行政法人になるとはいえ、親方日の丸である。郵便ネットワークの政治力は、民営化の要求など一蹴したほど強大である。資金が非効率に(ときに政治的に)使われることのない保証がいる。それには郵貯機関を純粋銀行として効率的かつ安全な経営をしながら、僻地や社会的弱者へのサービスも提供するネ。トワークとするのが、国民の支持も得られ、かつ競争的な金融システムの中で存在理由を確立しうる道ではないだろうか。

ひとまず右のように、再編への道筋を整理したところで、相互に関係する二つの問題をあらためて考えてみたい。一つは、いうまでもなく外資との関係である。これまでにも数々の提携や資本参加の動きがあったことはすでに見たとおりだが、前章で述べたような国境を越えたダイナミックな再編の流れに、日本の金融機関、とくに大手・中堅の銀行、証券会社などがはたして無縁でいられるのかどうか。もし、大型の買収・合併劇が、日本の金融機関を巻き込んで行われるとすれば、それはどのような局面においてであろうか。

いうまでもなく外資は、きわめて厳しい予算制約のもとで効率的な投資の意思決定をする。高い株主資本利益率を要求されている以上、長期的見地と称して(実はどんぶり勘定で)海外金融機関を買収していた日本の銀行経営者とは基本的な発想が違う。したがって、米国の株高と日本の株安というチャンスにあっても、それがそのまま大型買収が加速することを意味するわけではない。