2015年3月14日土曜日

難民の祖国帰還

その難民のうちのかなり多数が、近年、祖国ハンガリーに帰り始めた。このことは、国外にいた人々が、民主化への改革にとりくみ始めた政府に、大きな期待を寄せるようになったからである。また、欧米諸国などで定住を認められたものの、希望するような就職先を容易に見つけられなかったことも、帰国を促す原因の一つとなった。欧米諸国では、一般的に失業者が増え、このことが、排外主義の感情を一部住民の間にかきたて始めていた。地域社会のこのような動揺は、難民の職探しにも重大な影響を及ぼしたのである。

アジアに目を向けてみると、ラオスでも、本国に戻る者が増えている。従来から難民がすこしずつ戻っていたが、一九八九年の一年間に、一五〇〇人もタイの難民キャンプから本国に帰国した。これで帰国者の人数は、累計では五〇〇〇人を越えた。タイ国内に留まっている七万人のラオス難民のなかでも、本国帰国への関心を口に出す者が次第に多くなっている。ラオス政府は一部自由化をとりいれた経済改革に着手し、住民に対する締めっけを緩めるようになった。このような政策転換の効果が住民生活レベルにまで及んで、国外の難民にも知れ渡るようになるにつれ、難民の祖国帰還に拍車がかかったのである。

さらに、アフリカでは、南アフリカによる人種隔離政策(アパルトヘイト)の強圧のもとに、長い間苦しめられていたナミビアが一九九〇年三月に独立して以来数カ月間に、四万人の難民が帰国したのである。難民になることは、不幸なことである。しかも、その不幸は、世代を越えてその尾を引く。敗戦直後の混乱期、日本の植民的支配地や軍事的支配地にとり残され、迷い迷って転々とした日本人も、広い意味では難民であった。その子どもであった人々が、「残留孤児」として、今もなお、日本にいるはずの肉親を探し続けている。

難民状態は、できるだけ早く解消されなければならない。その解消方法として、難民が最初に到達した国で定住を認めてもらうか、または最初の到達国から第三国に移住し、そこでの定住を認めてもらって、数年後には、定住国の国籍を取得するか、または難民自らの意思によって祖国に帰るか、という三つの道がある。ただし、かつては、祖国に帰ることこそ究極的な道である、と考えられた。しかし実際には、祖国に帰ることを自ら希望する難民は増えなかった。そのため、大量の難民が各国に滞留するようになった。そこで、増え続ける滞留難民をアメリカなどが大量に引き取ってくれることを頼りにして、第三国定住を促進することが、重視されるようになった。

ところが、今あらためて、祖国帰還が掴際社会で注目されている。従来、たくさんの難民の定住受け入れを認めていたアメリカ、カナダなどの国が、その受け入れ枠を狭めるようになったため、その影響で、東南アジア諸国など多くの国々では、いずれからも引き取られない難民の数がふくれあかっている。そこで、難民の祖国帰還が、いっそう注目されているのである。しかし、祖国帰還が実現するには、本国に一定の条件が生まれていなければならない。ハンガリー難民やラオス難民、ナミビア難民の祖国帰還は、このことを示している。復帰実現に欠かせない条件は、難民の流出原因となっていた事情がもはや解消されたのかどうか、という点に、根本的にかかおる。