2014年12月15日月曜日

癒しの島の自殺者

沖縄は文化人類学的にはポリネシア文化圏に属すと言われるが、ポリネシア文化圏には母系社会が多い。たとえば、沖縄の原型をとどめていると言われる久高島では、家の祖先の神霊を継承するのは女性であり、神の霊を受け継ぐ神女(ノロ)と呼ばれる女性たちが島の祭祀一切を取り仕切ってきた。これは現在も続いている。久高島には一二年ごとに行われてきたイザイホー(一九七八年を最後に行われていない)という儀式(一九七八年を最後に途絶えている)がある。島では三〇歳から四一歳の女性は神女(タマガエ)になることになるが、イザイホーはいわばその就任式である。

人は死ぬと、霊魂が太陽の昇る東のニライカナイへ行き、再び島に戻ってくると考えられているが、イザイホーで孫娘が祖母の霊威を継承して一人前の女性になるように、この霊魂は父親ではなく、母親か祖母の霊と言われていることから、沖縄は母系社会であったことをうかがわせる。久高島だけでなく、沖縄のいたるとこゐで原始母系社会をうかがわせる痕跡があるのだ。それでいながら男系優位の社会なのである。沖縄に男系優位が入ってきたのは、琉球が統一されて貨幣社会が広がったことや、中国との交易などによる中国文化に影響を受けたからだろう。しかし沖縄では、財産の継承や門中制度など男系優位が支配するなか、で、祭祀を含めた実生活の場では女性優位であったことは、比嘉政夫氏が『女性優位と男系原理 沖縄の民俗社会構造』(凱風社)で記している。(もっとも比嘉氏はこの本で、門中が制度的に整っているのは、旧士族層や首里、那覇の都市や沖縄中南部と指摘している)糸満はまさしくそうした町のように思う。

糸満は漁業の町でありながら商人の町でもあった。かつては漁師である夫が採った魚を、妻がお金を払って買ったという。魚を売った時点で夫の役割は終わる。後は妻が那覇や首里で売り歩き、その利益はすべて妻の収入になった。妻と夫の財布は別なのだ。これを「ワタクサー」というが、たとえ船が沈没して夫が死んでも、家族が生きていけるようにとの、生活の知恵から生まれたのだろう。商業活動だけではない。夫が海人であり、生死が常に身近にあるせいか、祭祀もさかんで、もっぱらそれを担っているのが女性たちであった。

かなり大雑把な言い方だが、日本は古代の母系制から男性優位の父系社会になり、女性があらゆる分野から排除されていったが、沖縄では祭祀の場で女性が欠かせない存在であったことや、日常の商業活動でも女性が積極的に進出したせいで、父系社会の中に女性優位と男性優位が混在する社会になったのだろう。沖縄の女性はよく働く。ほんとうに感心なくらい汗水を流してよく働く。その一方で、沖縄男性はなんと影の薄い存在であることか。どうひいき目に見ても勤労意欲が高いと思えないのは、女性が働き者だからだろう。

ビジネスの世界は男系優位が当たり前である。沖縄にかぎらず、世界中でも多くがそうだ。ところが、沖縄の女性は、本土の女性のように家に閉じこもってじっとしていない。夫を社長として立てながら、実際は妻が切り盛りしている会社もあるほどだ。人が集まるところに出かけては「ゆんたく」を楽しむのも女性に多い。これは京都の女性たちにも通じるように思う。どちらも「遊び」をよく知っているという意味では、ヨハンーホイジンガのいう「ホモールーデンス」(遊ぶ人)に通じるかもしれない。一方の男性は、昔からそうだったのかどうか、「沖縄の男は独立心が旺盛」と言われ、ちょっと仕事を覚えるとすぐに独立して開業する。この小さな島に万という数の建設業者がひしめいているのもそのためだ。