2013年12月25日水曜日

大学の将来の楽天的予測

カーネギー審議会はこれとは対照的な未来図を示してみせる。カーネギー審議会の明るい予想(楽天的予測)によれば、未来は次のようなものになるという。

・(青年人口の減少にもかかわらず)在籍学生数はそれほど低下せず、せいぜい二五~四〇パーセソトどまりであり、成人学生や外国人学生が一八~二一歳人口の減少分を補充することになる。

・資源が入手し難くなり、授業料が上がっても、政府の援助は現状と変わらず続くと予想され、在籍学生数はそれほど減らないだろう。

・高等教育は上昇するGNPのうちの現行(一九八〇年時)のシェア(二・五パーセント)を維持するに十分な活力を持ち、学生援助はゆたかで、雇用状況は良好となり青年の大学進学を促進し、学生数は減るどころか、むしろ上昇する。

・量的拡張の終息は大学に質の向上に取り組むことを可能にし、教育、研究、サービスの向上のための時間と余裕を与えることになる。

・学生は質の高い教育を求めており、賢明な消費者であるから、良い大学や良い教育プログラムを選び、良い就職を見込まれる世代となる。

・政府は高等教育への内部介入には自制力を発揮するだろう。

・私学は強靭な力を持ち、政府も私学援助を高め、潰れるのは弱小な大学だけとなり、そのことがかえって高等教育全体を強化する結果になろう。

・大学はこの時期を二一世紀の必要性と挑戦に対する組織化と理念を打ち立てる時期として活用するだろう。

・新しいテクノロジーは古い教育方法の補充とはなっても、従来の大学教育に全面的にとって代わることはない。

・アメリカは全体として新しい活力を回復して上昇の波に乗り、高等教育はこの上昇運動の中心となる。

カーネギー審議会が描いてみせたこの明暗二つの未来は、現実にはどのような帰結になったのであろうか。どちらの予測が一年後の未来を射当てたのだろうか。私はこの問題に一九八〇年以来切実な関心を抱きつつアメリカ高等教育の流れを追跡してきた。一九八二年、八四~八五年、八八年、八九年の渡米の機会には、その結果を自分の眼でも観察してきた。この書物では、アメリカの大学がこの《冬の時代》にどのように対決してきたかをこれまでの観察と研究の結果をふまえて明らかにしていきたい。しかし一九八〇年代のアメリカ高等教育を語るためには、そのまえに大学という社会制度の成り立ちを、歴史と比較の視点からふりかえってみる必要がある。