2012年8月9日木曜日

そごう倒産の波紋

大手企業の本社などが立ち並ぶ東京・丸の内のビジネス街。その中でも旧江戸城の馬場先門跡に面した一等地に東京商工会議所ビル(以下、東商ビル)がある。二〇〇〇年七月一二日の夕刻から、このビル周辺はあわただしい雰囲気に包まれた。

深刻な経営不振に陥っていた大手百貨店そごうグループが同日、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請したからだ。事実上の倒産である。そして、そごうの山田恭一社長ら経営陣が同夕、この東商ビル内にある東商記者クラブで記者会見した。

倒産や不祥事に見舞われた企業の経営陣の会見の例に漏れず、山田社長らは会見の冒頭、報道陣に深々と頭を下げ、謝罪の意を示した。スチールカメラのストロボがたかれ、シャッター音が響き、テレビカメラが回った。その謝罪は報道陣というより、その背後の読者、視聴者、株主、消費者などに向けられたものといえよう。

山田社長は会見で「国民から厳しい批判が高まり、お中元商戦も深刻な影響を受け、再建計画の遂行が困難になった。資金繰りにも重大な支障をきたす懸念があった」と、民事再生法の適用申請の理由を説明した。

では、国民から厳しい批判を受けたそごうの再建計画とはどんなものだったのか。そごうグループには、日本興業銀行(以下、興銀)出身の水島廣雄前会長が事実上のオーナーとして君臨し、一九七〇年代以降、全国に店舗を展開した。出店のテンポはバブル期にはさらに加速された。中には収益の上がる優良店もあったが、多くは赤字を垂れ流す店舗だったのである。

野放図な拡大路線の果てに、そごうは二〇〇〇年二月期には本体をはじめグループ二二社すべてが債務超過に陥ったのである。この事態を打開するため、メーンバンクの興銀がまとめたのが「再建計画」と称するものだった。

しかし、その内容は驚くべきものだった。興銀をはじめとする取引銀行に総額六三〇〇億円もの巨額の債権放棄に応じてもらうというのだ。債権放棄などというと聞こえはいいが、要するに借金を棒引きしてくれということである。借りた金を返さないというのは、企業でも個人でも許されることではない。それでも、この「計画」によって、そごうが再建されるというなら、まだ救いはあった。

しかし、これだけ巨額の借金を棒引きしてもらっても、まだ約コニ○○億円の債務超過となり、グループの売圭局にほぼ匹敵する約一兆円の有利子負債も残るのである。こんな「再建計画」自体、前代未聞だ。バブル崩壊以後、ずっと「冬の時代」の中にいる百貨店業界の中でもそごうのブランドカは弱く、販売・営業力にも問題があった。収益を上げて負債を返済するのはもちろん、債務超過を解消できるかすら疑問を持たれていたのである。

こんなずさんな計画を計算高い銀行が了承したのは、ここで一挙に法的整理に持ち込めば、一時的には損失処理額が大きくなって経営に打撃となるからだ。それよりも、無理な計画と知りつつ債権放棄に応じれば、当面の損失は少なくて済む。この再建計画はうまくいくはずがないから、最終的には損失は膨らまざるを得ないのだが、とにかく損失を「先送り」しようというわけである。日本の金融業界の「先送り体質」が如実に現れた計画だった。